ごきげんよう。引っ越しの準備の真っ最中のmです!
新しい職場も決まりまして、住まいもまた青森→東京へと移ります。
何回引っ越してるんだー!と言われますが、2~3年周期で引っ越していたりしますw
そうです。引っ越し貧乏ですよ(ぅぉぃ
損得勘定で考えるとやる気がなくなっちゃうかもしれない
昔は好きなことを好きだという理由で楽しんでいたものです。
ですが、大人になると「これをやって私が得るものは何……?」とか考えてしまったりしませんか?
それを考えた瞬間、やろうと思っていたことが急にイマイチに思えてしまってやる気が萎えてしまう……。
仕事では大事な損得勘定。
けど損得勘定で判断することに慣れすぎてしまったことによって、プライベート、特に趣味や楽しみ方面ではやる気がなくなってしまうと考えています。
例えば私で言えばお絵かき。
私は昔は好きで絵を描いてました。ブログを上げるたびに描いていた気がしますw
最近は仕事として絵を描いたりしています。
そうなると、何か絵を描こうと思っても「絵をかくなら仕事の絵を描いた方がいいよね。それだけ時間も体力も使うんだし」と考えてしまって、趣味では描かなくなってしまいました。
ゲームでも私はよくあります。
昔はギャルゲーを楽しんでいた私ですw
ただ楽しい。
その気持ちでプレイしていました。
なのですが、ここ最近は
「何時間くらいかかるんだろう? それだけの時間を支払って私は何を得るんだろう……?」
これを考えた瞬間に終わりです。
ゲームを買った時はワクワクしてるのに、アマゾンから届くまでにそれを考えてしまうと手を付けない、なんてことはよくありました。
得になる行動なら楽しいしやる気が出るか
では、得になる行動なら楽しくてやる気が満ち溢れてくるのでしょうか?
楽しみについて考えてみます。
得になる行動は「楽しいからやる」ではなく「得があるからやる」であって、少し方向性は違いそうです。
得があるからやる気が出る、はどうでしょう。
得があると判断したときはやる気が出ます。
けどみるみるやる気を失っていったりすることはみなさんも経験があるはずです。
例としてはダイエットでしょうねw
あとは英語の勉強など。
得の部分が未来の話だとイメージがぼんやりとして得を過小評価してしまいそうです。
例えば英語なら
「英語はできた方がいいと思うけど、これ今日30分もやるのもなー」
と、近視眼的な損得勘定の判断が挟まると未来の得より今の損の方が大きく映ります。
そう思ってしまうととやる気も失われていきます。
だって損するように見えているのですもの。
逆に得であると毎度判断できた時はやる気が出そうです。
「英語はできた方がいい! 今の30分で将来英語ペラペラだ!」
こんな感じでしょうかw
なので損得勘定でやる気を出す場合は、常にメリット側が大きくなるように考えるとやる気がわく……かもしれません。
「損か得か」ではなく「楽しい(楽しそう)からやる」とやる気もついてくる
英語の学習を見ると
「英語話すのが楽しいから英語やってる!」
の人が圧倒的にモチベーション高く英語をやっています。
たぶん、やるなと言ってもやりそうですw
だって損だとか得だとかどうでもよくて、楽しいのですものw
あと私は手書きの日記を10年以上書いています。
誰にも見せることなくひっそり書いていますw
本屋に行くとたまに平台に「日記で人生が!」みたいなビジネス書があって、これでもかとメリットが載ってます。
で、私はというと。
そういうのはどうでもよくて、楽しくて書いてますw
朝に書いてるわけですが「よーし、日記かこ!」ってなりますw
(習慣化による行動ともいえそうですが)
私はよく、みんな考えすぎなのではと思ったりします。
行動に対して損だ得だとか考えてしまうから、やる気がなくなってしまったり、単純に「楽しもう!」ができなくなってしまうのではないかなーと考えたりするわけです。