今日の水星の魔女見まして!?(誰だよw
いや~水星の魔女が百合だと聞きまして見ていたのですねw
花嫁を決闘で奪う女の子! 最高ですね!
今日はその奪った相手から求婚ですよ!
さすが横恋慕さん!(ぅぉぃ
これがおぎおぎせずにいられるかというものです!(ぉ
あれですね。
少女マンガ的展開w
花より男子とか(古い
近頃ですと悪役令嬢系でしょうかw
こういうの見ると、また絵とかSSが描きたくなってきますねw
幸せについて考えてみました。
幸せについて考えてみました。
私は先生になりたいと思って頑張っていた時がありました。
時は運悪くリーマンショックの時。
なかなかどこにも就職できずバイトではない仕事が欲しかったことを覚えています。
そして最終的に中国語も話せないのに中国の会社に就職したりしましたw
今かんがえるとスゴイ。
そこから3~4年の海外生活、帰国して東京、福岡、東京と渡り歩き……
今では、地元青森でお仕事ができているわけです。
(この不思議なキャリアが功を奏して(?)か、大学三年生のキャリア的な形で学校でおしゃべりする機会がたまにあります)
お給料も最初は月給10万円(額面で)だったのですが、今は青森で一人暮らしするのに問題ないお給料をいただけています。
そこで思ったこと。
仕事がなかった時は仕事をしたいと思っていました。
ようやく正社員の仕事につけたときはとても嬉しかったです。
お給料が増えればその時はとても嬉しいです。
これだけ増えれば買い物も自由になる!って喜んでいたのですが、しばらくすると「もっともっと」になりました。
働いている場所も中国にいたときは日本で働きたいと思っていました。
日本に帰ってきて喜んでいたのですが、今度はやっぱりもっと人が少ないところや家賃が安いところで働きたいになりました。
昔と比べると足りないものが満たされて「幸せ」な状態になっているのに、足りないものに目が向いてしまうのですね。
それで「もっともっと」と思ってしまいます。
アキレスと亀のお話でもないですけど、今の幸せがどんなに増えても「理想の幸せ」はいつでもちょっとだけ先にあって。
そのちょっとの差の部分に「足りないもの」があって。
その足りないものを埋めよう埋めようとして埋めると、また「理想の幸せ」がちょっとだけ先にあって……。
こんな感じがしました。
そう考えると、未来では「幸せ」という状態にいたることはなさそうです。
言うなれば馬の前につるされたニンジンであり、追い求める「理想の幸せ」は姿を自在に変える幻想ではありそうです。
この「理想(幻想)の幸せ」を想っている間は、きっといつも理想と現実の差分である「足りないもの」を見続け、味わい続ける気がしました。
それによって成長できる、ということもあるのですけれどねw
そうなると幸せはどこにあるかとなると、現在と思い出の中でしょうか。
つきなみですが「もっているものに目を向ける」というやつです。
追い求めようやく手に入れたモノ・コトは「満足」によって消化され「当たり前」になっちゃうんだと思います。
過去を思い出すと、思い出はいつだって綺麗で「あの時は幸せだった」と言葉が出ると思います。
美化されているのもありますが、過去ですから、すでに持っていたモノ・コト(の内の満足していたこと)にフォーカスが当たるからです。
たまには今まで手に入れたものに目を向け書き出してみると、こっそり隠れていた「幸せ」が再び顔をひょっこり覗かせるかもしれませんよ。